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コロナ闘病からの気づき

これまで多くのコロナ患者さんをまじかで診ていたので、自分はもうばっちり免疫があるはず、と高を括っていたのですが・・・。

 

なぜこのタイミングで罹患したのか、その心当たりがないわけではありません。
一つには、気の緩みがあったことを認めざるをえません。
クリニックではコロナ陽性者がだいぶ少なくなっていたので、発熱者の全例を検査するのではなく、周囲に流行があるかどうかを加味しながら、必要に応じて検査する対応に変えつつありました。そして防護マスクも息苦しくて暑くて辛いので、普通のマスクとフェイスシールドだけで過ごすようになっていました。
そんな中で忍び寄っていた7波、そして3度目のワクチンをうってから時間も経ち、株の変化によるワクチン効果の減少もあり、
複数の原因が重なっての感染でした。

ちなみに私の症状は、まず熱がでる前に腰周囲の筋痛が始まりました。
変な痛だるさがあるな~と思ってから6時間以上たってから、悪寒を伴うことなく発熱し、丸3日間は高熱と筋痛に苦しめられました。3日目から嗅覚障害に気付き、食事がまずくて悲しくなりました。
たった3日寝込んだだけで、噛む力も衰えたのか、噛むのが面倒くさいという初めての感覚でした。

 

我が家の3人の小学生も次々に罹患して、自分の体調が戻りきらない間に看病もしなきゃいけないというまさに地獄の日々でした。

でも、今はこうして文章を書こうと思うくらいに体力も気力も戻ってきました。

ついに今日で隔離生活が終わります(子どもはまだ数日残っていますが)。

 

そして、ふり返っての気づきが色々ありました。

 

気づき① 体調が悪いと思考が全部ネガティブに向く

 感染による直接のダメージだけでなく、痛みと熱による睡眠不足も影響したと思います。元の身体に戻るのだろうかという非現実的な不安に苛まれました。楽しみにしていた予定が4件もキャンセルになったことでの落ち込みや、周囲にかけた迷惑、子どもたちにうつして平日9日分も学校を欠席させてしまった罪悪感も苦しかったです。思考が全てネガティブに向いていました。

 

気づき② 孤独育児の辛さを思い出した

 社会から切り離され、何日も家に引きこもる生活。孤独育児をしていたあの頃の心の不安定さを思い出しました。それに、自分で自分の生活をコントロールできていない不自由さもまた、赤ちゃんとの生活での苦しかった部分だったと、実感をもって思い出しました。産後のお母さんに寄り添いたい私にとって、これらをありありと思い出せたのはよい収穫でした。

 

気づき③ 役に立っていないと不安で仕方ない

 何もできないで過ごすことに対する不安。「自分なんて」という自己否定的な気持ち。少し身体が回復しても頭が働かないでぼーとしてしまう自分が許せない。
「ありのままの自分を認めよう」「不完全な自分でいいじゃない」、そんな風に思えるようになっていたのは錯覚だったのかと思うくらい、今回本当に役立たない自分と向き合い、全然受け容れられずにもがきました。

体調の悪さが思考を歪めたとはいえ、根本的な自分の考え癖がまだまだ抜けていない証拠とも思いました。
病気のときくらい自分に優しく、ゆっくり養生したらいいのに。休み期間を楽しんじゃうくらいの気持ちのゆとりが持てたらどれだけいいだろう。

人には言えるその言葉を自分にも向けられるようになりたいです。

まさにサロンで皆さんに伝えていきたい根幹の部分です。

 

気づき④ 人の優しさがいつも以上に身に染みた

 子どもの食事を作って届けてくれた人、スイカやメロンの差し入れをくれた人、ネットスーパーやAmazonの宅配人、LINEで励ましのメッセージくれた人、暇つぶしにとメール便でおススメの本を送ってくれた人、などなど、色んな人に支えられての闘病生活でした。
こどもたちも一番私が辛いときはまだ元気だったので、お味噌汁を作ってくれたり洗濯ものを干したり畳んだり、色々と手伝ってくれました。しかも自分たちが隔離された上にうつされたことを、誰ひとりとして責めないでいてくれました。
単身赴任中の夫は毎日朝晩に電話をくれて、不機嫌で愛想のない私(苦笑)によく我慢して付き合ってくれました。

普段から多くの人に支えられて生きているわけですが、当たり前すぎて鈍感になっているところがあると思います。

 

 

こうして自分が落ちてみないと見えなくなっている事ってありますね。

 

ちょっと立ち止まって大事なことに気付く機会をもらったのだと受け止めます。