ある日の診察後、クリニック職員で夕礼で一人の口から飛び出した次の言葉に、内心ドキッとさせられました。
それは「子どもに選択肢を与えるふりだけして実際には与えないのってひどいと思う」という言葉です。
問題のシーンはだいたいこんな感じだったそうです。
インフルエンザワクチンを打ちたくなくて待合室でごねていた子に対して、親がこう言いました。
「打ちたくないなら打たなくてもいい。打つかどうか自分で決めなさい。」
子は一度は打つ選択をして診察室に入りましたが、「やっぱりやりたくない」と騒ぎ出しました。
親「あなたがやるって言ったんでしょ(怒)!」
そして、診察室で打つの打たないのを長時間もめ続けて、最後は無理やり接種されたそうです。
このケース、きっと親は心の中で「絶対に今日打つ」と決めていたのだと思います。
なぜなら診察室でやっぱり嫌だと言ったときに、「じゃあ今日は帰ろう」の選択だってできたはずなのにそれをしなかったからです。
言語では子どもに選択権を渡しているようで、非言語の表情や態度の部分では選択権は全くない状況だったのだと想像します。
子は親の圧に負けて一旦は同意しただけ、もしくは、親を喜ばせようという思いで同意しただけだったのでしょう。
でも本心はやりたくなかったのです。
決めてよいと言われたのに、逃げることを選べなかった子の気持ちを考えると・・・
親の言葉の裏の意味を常に気にする子に育たないだろうかと心配になります。
そしていずれ自分の正直な気持ちがわからなくなってしまわないかも心配になります。
でも、これはおそらく珍しい場面ではないはずです。
この話を聴いて、何か思い当たることがありませんでしたか?
私はありました(汗)。
つい先日、娘の七五三の写真撮影で、二つ年上の次男に一貫性のない態度を向けてしまったのでした。
家族写真や兄妹写真も撮りたい、というのが私のニーズでした。
ですが、撮影の2週間ほど前にそれを提案をしたら、次男は「写りたくない!」と言い張りました。
夫は「お父さんは家族みんなで撮りたい、これは譲れない。」と次男に伝えていました。
それでも「嫌だ」の一点張り。
私は無理やり写らせてもいい顔は撮れないし、家族全体の気分が悪くなっても嫌だし、最後は本人の想いを尊重しようと決めました。そしてそう伝えました。
でも、でも、実は本音のところは、一緒に写って欲しかったのですよ。
「いい親」だったらこんな時なんて言うだろうかと考えて、本人の想いを尊重しようという選択をしただけで、
私の本音ではなかったのです。
撮影日まで残り3日となったときに再度確認したら「絶対に嫌」と変わらない様子に、
ムッとした気持ちが抑えきれず、思わず「なんでよ、お母さんが納得できる理由を言いなさいよ。」と詰め寄ってしまいました。
そうしたら当然、次男は私を睨みつけてさらに拒絶するような言葉を浴びせてきました。
私も、確かに自分が言ったことと矛盾しているな、と気付き、そこで自分の思いをもう一度引っ込めて、任せようと腹をくくりました。
撮影前日、体調が少し悪くて学校を欠席した次男は、私と二人だけの時間を過ごす中で、気持ちがほぐれたのかもしれません。
遊んでいるときに急に「明日一緒に写ってやるよ。」と言葉は偉そうですが、はにかみながら言ってくれたのでした!
以前から親の想いを敏感に察知する次男ですが、この時も私の想いを見透かしていたのだと思います。
そして、やっぱり子は親を喜ばせようとがんばってくれているのだと思います。
当日は機嫌良く、全員が飛び切りの笑顔で撮影することができました。
選択肢を与えるなら、ちゃんと与えましょう。つまり、子の選択を受けいれましょう。
もし選択肢が与えられないと考えるのなら、与えたようなふりだけは止めましょう。
そのときは子が納得できるまで説明をして、きちんとお願いをしましょう。
自分への反省を込めて書きました。
さらにはこれを読んでくださった誰かの、次の行動がより良くなりますように、願いを込めて。